北欧 考える旅 薗部英夫 全障研出版

2017/11/19
北欧 考える旅 薗部英夫 全障研出版
https://www.amazon.co.jp/%E5%8C%97%E6%AC%A7-%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E6%97%85%E2%80%95%E7%A6%8F%E7%A5%89%E3%83%BB%E6%95%99%E8%82%B2%E3%83%BB%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%83%BB%E4%BA%BA%E7%94%9F-%E8%96%97%E9%83%A8-%E8%8B%B1%E5%A4%AB/dp/4881347241
良著です。
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特別クラスの教員ほど研修を受けている教員はいないそうだ

「住まい」とは単純に「寝るための場所」ではなく、地域社会とつながりながら、人生をゆたかに生きていくための総合的な環境なのだと思った。
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脱施設と言われ、デンマークでは誰も施設と呼ばなくなったそうです。
この温かみのあるグループホームは、TEDであったこれでしょうか。
グレース・キム: コ・ハウジングでもっと幸せに もっと長生きに | TED Talk
https://www.ted.com/talks/grace_kim_how_cohousing_can_make_us_happier_and_live_longer/transcript?share=1b6d3f43d9&language=ja

生き方を考えた時、住環境へ思いを馳せないわけにはいきません。
この本は主に障害のある方、高齢の方の北欧と日本での暮らしの対比を書いていますが、年齢や障害など問わずあらゆる人にとって住環境は重要です。
この住環境が、日本はどれだけ劣悪か、言葉にならないくらいです。
公共の住宅の量も足りていないし、
地価高騰が続くことにより大都市圏に越してきて働くと殆どを住宅の賃料ないしローンに取られてしまう上、
障害の有無にかかわらず地域のコミュニティというものは失われています。
人間らしい生活とは何かと問わざるをえません。

地震等により倒壊した、または倒壊の危険のある地域住民は仮設住宅にて住まいを確保しますが、これもどうなのか?
仮設住宅は3年など期限があるコミュニティであるため精神的負担が高いのです。
そこは住まいであり、被災の心の傷を癒やしあった仲間がいる、もっというと高齢だったり心に傷を負った上で築いた関係性がある自らの所属する大切なコミュニティです。
特に高齢者には仮設住宅を出たくないという意思が出ても無理はありません。
一般に仮設住宅撤去時には引越し先が皆違い、コミュニティがばらばらになります。
コミュニティが失われる怖さとはなにか?
呼び寄せ高齢者問題が出てきたことで、つまりその人の生き方に強烈に影響することがわかります。

寒い気候に結露の掃除をしながら、「住宅の設計の悪さをカバーするのにエアコンの消費電力は高すぎる」という誰かの言葉を思い浮かべます。うろ覚え…確かフランス。
近所でも児童館などの公共施設は単層ガラスを大きく並べてエアコンガンガンかけているのですが、あれは東電への利益供(禁止ワードです)……建築時の建築コスト低下のためでしょうが、この姿が真に持続可能な社会なのか考えます。
電力消費量もけっこうギリギリなので、目先の建築コストか長期的なコストの低下なのか議論する余地はあるはずです。

低い断熱性なぜ放置、世界に遅れる「窓」後進国ニッポン :日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO78836460U4A021C1000000/

園と家庭をむすぶげ・ん・き163

2017-11-20

汐見さんと小西さんの対談「自然と人類と保育」を含む一冊。

写真がいいですよね。ぐうたら村かな?この写真の世界に没頭したい。話が逸れました。

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人類が生まれてから700万年の間、人間は種種雑多な生き物の一つとして生きてきました。定住することなく食料を生産することなく、何かを採って食べるということを繰り返していました。狩猟採集生活。ある時期から、他の動物達とは違う特別な存在になっていくわけです。

ホモ・サピエンスが他のホモ属と違っていることに言葉の使い方があったと言われています。虚構を共有できる言葉、これが認知やコミュニケーションに大きな変化をもたらしています。

「representation」再現前化というちからですね。人間はいつからどのように言葉を使うようになったのか。言語の発生については18から19世紀に活発に議論されました。「もう答えは出ないから不毛な論争はやめよう」となったほどです。

労働を起源とする説が多く出されました。生きるために必要なコミュニケーションを重ねていくうちに言葉は生まれたというのです。

ルソーはちょっと異質な見解を持っていました。「愛を語り合うために」言葉が生まれたと言ったのです。僕は人間同士の共感的な感情の重要性にルソーは重点を置いているのだと思っています。

共感はもっと原始的で身体的なものだったと思います。現代に生きる我々がもう失ってしまったような感性だといえるかもしれませんね。仲間の様子を察知していのちの弱まりを感じ取れただろうし、土地が豊穣だという時科学的な分析をしなくても、そのことがわかったと思います。土地と共感する力ですね。

ホモ属の他の種が絶滅していく中でヒトだけが生き延びたという理由の一つに「困っている仲間を助け合う」「共に生活する」ということがあったからだと言われていますね。

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この後も興味深い本文はルソーの「エミール」やSNSなどによる現代のコミュニケーション等の話題をはらみながら進みます。

共感する力。まさにこれです。私は言葉を操り、他者に共感したい。
その立場に無いものでも、他者の心を推察することはできます。

産むということ 黒柳徹子さんの洞察 - Chikirinの日記https://chikirin.hatenablog.com/entry/20070213


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元埼玉県教育委員長 松居さん

脳の重さはほぼ5歳で成人並みになると言われています。生きるために減らしていくニューロンネットワークの数と脳の大きさが一番相乗効果を生んでいるのが4歳くらいで、人の思考の可能性、感性がその頃最大となるのではないでしょうか。(中略)

公演で「4歳児が一番完成している人間」と私は親たちに言います。「頼り切って、信じ切って、幸せそう。この姿に、私は宗教の求める人間像を見ます」と付け加えます。(中略)

なぜ、人間は4歳で完成したのに、情報や知識を得て不完全になろうとするのか。自ら不完全になることによって、集まって大きな完成を目指そうとしているのではないか、そんなふうに考えます。人類全体で「絆」を作って完成するため、一度自分を見失う、

という道をゆくのでしょう。(中略)だからこそ、仕組みの発達と経済という進化のエネルギーでもある「欲」の具現化が生んだ「話しかけない保育、抱っこしない保育」の出現が恐いのです。

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この記事読んでつながった。私は子供の頃の記憶がほとんとないので他の人の記憶ですが

ほぼ日刊イトイ新聞 - タモリ先生の午後。
https://www.1101.com/2004_tamori/

やはり4歳から5歳は立派な思考をもっている。大人の方が子どもの力を見くびっている。

体が小さいって理由だけで他者にあーだこーだ言われるとか、「ほっといてくれ」ってなるよねえ。

襟を正さねばと思います。 謙虚になるのは意外とできないんです。大鉈を振るうほうがラクだから。